平成29年度上半期 活動報告

インド農村支援事業

2月17日~25日までの間、代表とコーディネーターでインドを訪問して、プロジェクトの進行状況と、指導を行って参りました。

 

縫製トレーニング事業 ラフールナガール村

 昨年度より13~18歳程度の女子を対象に縫製トレーニングを開始して一年になります。村在住で縫製の指導をしてくれる先生は、リタデビさん(35歳)=16年の縫製経験者、そしてルビデビさん(40歳)=14年間の経験者の2人です。日曜日を除く毎日、午前10-12時までの2時間、一年を通じて真面目に少女たちに縫製を教えてくれました。生徒の出欠簿も正確で欠席をすべて出席とするようなことはありませんでした。当初は10人の縫製トレーニングの希望者で始めた教室でしたが、1年を通じて19人の少女が縫製を学びました。倍増したという事はこの事業に村の期待が高かったということでしょう。

縫製教室のメンバー。前3人が今回の卒業生
縫製教室のメンバー。前3人が今回の卒業生

 今年2月に訪問した際に、先生と同等の技術を身に着けた生徒が3人いました。この3人は家族や親類、村人の簡単な服を作るところ迄出来るようになりました。この3人には卒業記念にサプライズで足踏みミシンを贈呈しました。ミシンは一台4100ルピー。(日本円で7380円)です。日雇いで一日200ルピーの村人にとっては、一か月のお給料分に近い高級品です。前もってミシンの贈呈の話をしてしまうと、純粋にミシンを勉強したい子以外の子も集まってしまうので、内緒にしていました。残り16人の卒業生にも贈呈する予定でいます。ミシンを継続的に使ってもらうために、簡単な品物(座布団カバーやエコバッグなど)を定期的に発注したり、村の外からも仕事を受けられるようにコーディネートを試みたりなど、各家庭に渡ったミシンを活用出来るよう、努力していきたいと思っています。

試しに寺で使う座布団カバーの試作を作ってもらいました。
試しに寺で使う座布団カバーの試作を作ってもらいました。
ミシンの分解、組み立ての練習。長く使ってもらうために、こういった講習も大事です。
ミシンの分解、組み立ての練習。長く使ってもらうために、こういった講習も大事です。

マンゴー植林による農村開発

4年目のマンゴーの木
4年目のマンゴーの木

 ラフ―ルナガール村でのマンゴーの苗木を村に提供して育てる計画は始めて4年目を迎えます。今までに約20家族に苗木を配布しましたが、育て続けている家庭は4軒程度です。背丈は2メートルを越えました。実は成っていませんがマンゴーの実がつくには10年かかるということです。この4軒の家庭では今後もマンゴーを育てていくと思われます。
 昨年、300個のマンゴーの種から苗を育てることを村の女性に依頼しましたが、残念ながらほぼ育つには至りませんでした。これは毎日の水やりがかかせないポットで苗を育てる方法をとったからで、井戸から給水しての水やりに限界がありました。そのため今回の訪問では、畑に直に種をまいて露地栽培をすることを指導しました。村のコーディネーターもマンゴー栽培を試行錯誤しながら努力しています。これからもマンゴーを栽培して、村に配布することを約束してくれました。

【事業終了の今後】
今年でこのラフ―ルナガール村の事業は当会の活動では終了となりますが、コーディネーターであるブレンダルさんは村で唯一、大学に行った男性で、当会の事業に真面目に取り組んでくれました。そこで今後は引き続き、この男性を中心として、縫製トレーニングの生徒へのサポート、マンゴ栽培の村への定着のサポートを継続して参ります。

 

右がコーディネーターのブレンダルさん。

東日本大震災被災者支援事業

 今年4月3日~5日に宮城県南三陸町を訪問し、仮設住宅各地にて高齢者を対象にした「歌ひろば」、「子ども縁日」を開催しました。今回で17回目の訪問です。
 南三陸町には36カ所の仮設住宅がありましたが、この夏までには10カ所に作られた集合住宅と一戸建賃貸団地にほぼ移転完了とのこと。私が訪問している地区の仮設住宅はすべて移転が完了していました。それゆえに今回は新たに作られた集合住宅の集会所、計5か所で支援活動を行ないました。

 それぞれの集会所に集まってくださったお年寄り、子供達とももう顔なじみで、歌の後のお茶会も屈託ない会話に花が咲きました。

H29年4月の南三陸町。道路が作られ、川を渡る橋が作られました。
H29年4月の南三陸町。道路が作られ、川を渡る橋が作られました。

歌広場に集まったお年寄り。
歌広場に集まったお年寄り。

 なお、4月から市の福祉課と社会福祉協議会が中心に、定期的に集会所を活用して、高齢者や子どもへの福祉の取り組みを行うことになりました。その理由は、集合住宅に移った人が部屋にこもりがちになるという現実問題にたいして市役所が危惧しているからだそうです。仮設住宅の場合、両隣の家族の生活音が聞こえ、また外での喧騒も聞こえ、窓の外からすぐに近隣住民が覗き込んだり、声を掛けられるという、孤立しない環境でしたが、集合住宅は防音であり、3階建てであるため、プライバシーが守られる一方、孤立を招きやすいからです。また、新たな集合住宅には各地の集合住宅から集まるため、今までの仮設住宅で築いてきた人間関係を構築し直さなければならないという問題もあります。そういう意味では実はこれからも大変な苦労があるとも思われます。しかし町内で活動している地元住民の団体の代表者の方は「これから起こる問題は地元で解決していかなければいけないことです」とおっしゃっていました。


 高齢者に対しては社会福祉協議会の職員が定期的に各集会所を訪問し、「歌広場」と同じ形態のプログラムを行うことになりました。それゆえに、また、仮設から終の棲家での自立へと舵を切った被災地の方々に対する支援も一つの区切りと考え、今回で南三陸町での被災地支援を終了することにしました。今まで歌広場で支援してきた自治会の方々にはご挨拶をして参りました。皆様からは、当会の活動に「お寺関係の方々は、他の市民団体に比べて、長く私たちを支援して下さって有難いです。これからは遊びでお越しください」という感謝の言葉を随所で頂きました。

子ども縁日の様子。
子ども縁日の様子。